平成の時代とともに32回で終了してしまった、伝説の大会「萩往還マラニック」。2013年・第25回大会当時の思いが書かれてます。
平成と共に誕生し、平成と共に32回で終了した萩往還マラニック。最長距離の250kmを4回完踏したが、私はこの大会でとても多くのことを学び、その後のウルトラマラソンに大きな影響を与えた大会である。そんな大会だが2013年の第25回が最後の完踏となった。その時に私が危惧したことが7年後の大会終了の原因になってしまったように思える。当時のゴール後の思いが書かれている完踏記があるので公開します。
第25回萩往還マラニック 2013年5月2日 午後6時スタート
毎年、ゴールデンウイーク恒例の萩往還マラニックに参加してきました。昨年は同時期の「川の道フットレース520km」に参加したため、2年ぶり4度目の250kmチャレンジになります。
過去3回は、毎回毎回、死ぬほどきつい思いをし、ボロボロになりながら完踏したので、今回も覚悟を決めてスタート地点に立ちました・・・が、今回は、きついながらも45時間24分30秒であっけなく完踏できました。今回は「なぜ、あっけなく完踏できたのか?」を書きたいと思います。
原因1 天候
超ウルトラマラソンは、お天気や気候に大きな影響を受けます。この大会の例年の完踏率は55%前後です。私が初めて参加した2009年は、今年同様に天候に恵まれて完踏率が62・9%ととても高かったです。その翌年の2010年は、25度を越す夏のような気温になり、途中でやめるランナーが続出。結果的に完踏率は44・8%と低いものになりました。この数字を見ても分かるとおり、天候が完踏できるかできないかに大きな影響を与えます。そして今年は、暑くもなく寒くもなく、走るには絶好のコンディションでした。結果、63・5%と過去にないくらいの高い完踏率でした。
原因2 コースミス
250kmのマラニックなので、主催者から配布された地図を頼りに進んで行きます。知らない土地で、しかも夜間走もあるので、曲がるところを間違わないようにチェックしたり、コンビニの場所などを調べたり、しっかりと事前準備をしてから臨みます。なぜなら、目印は無いし、当然、案内をするスタッフなどはいないからです。ところが今年は、コース上の曲がるところにはしっかりと白線が引かれていました。過去3回では無かったのでビックリしました。さらに間違いやすい所にはスタッフが立って案内をしてくれました。おかげで事前に準備をした地図を一度も見ることなく、コースミスもすることなく迷わずに進めました。ただ、以前のように交差点ごとに地図を見ながら、考えて悩んで進んでいた頃の方が完踏の達成感があったのは間違いないです。
原因3 参加人数
マラソンブームのせいか、参加人数が増えました。私が初めて参加したときは250人位でした。人数が少ないので、途中、他のランナーが見えなくなり、一人で進むことがありました。2日目の夜ともなると、前後のランナーは見える範囲にはいなくなり、孤独と戦いながら進みました。今年は470人が参加しました。ランナーの人数が多いので、常に前後にランナーがいます。2日目の夜でも前後にランナーがいてコース上はにぎやかで、気分的にはとても楽でした。ただ、以前のように孤独と戦いながら自問自答して進んでいた頃の方が完踏の達成感があったのは間違いないです。
原因4 仮眠
250kmの長丁場なので、途中175kmのエイドで仮眠ができます。初心者のランナーは時間を気にして、仮眠を取らずに行くランナーが多いです。私も初めての時は、時間がもったいなくて仮眠を取らずに行きました。仮眠を取らずに行くのと、仮眠を取って行くのでは、その先の過酷さが全然違ってきます。仮眠を取らずに行くと、睡魔と戦いながらフラフラしながら進むことになります。前回は1時間だけ仮眠をしました。今回は2時間半くらい仮眠を取りました。これだけ寝れば体も回復し、睡魔と戦うことはなく、元気に進めます。後半の75km、本来なら一番きついところですが、最後まで眠くなることもなく進めました。
原因5 経験値
4回目ともなると、この大会の攻略方法は熟知しています。初めての時は、自分のペースで間に合うのかと不安な思いをしながら進んでいましたが、今回は、どのくらいの時間で進んでいけばいいのか、この先はどんなコースなのかなど、分かっています。先が分かっていれば精神的にもとても楽なので、焦ることなく、余裕を持って、のんびりと進むことができました。
萩往還マラニック250kmは、ウルトラランナーの中では国内屈指の過酷な大会とされています。なので、その大会を完踏することが大きな勲章となっています。しかし、今年参加して、時代とともに大会自体が変わってきてしまったと感じました。この大会を作った小野さんが3年前に引退し、後任に運営を委ねられましたが、その頃から大会の方向性が変わってきて、多くのランナーが完踏できるような大会になってきています。それはそれでいいのですが、萩往還の勲章の価値は落ちてしまったのかと感じています。地図を見ながら道に迷い、真夜中の道を孤独と戦いながら進んでいく。そして、ボロボロになりながらゴールに戻ってくるというのが、萩往還だと私は思っています。今回は気候にも恵まれ、大きなアクシデントもなく、あっけなく完踏しましたが、それは自分の力がついたとか経験を積んだということだけではなく、大会自体が過保護になってしまったことが大きな要因だと思っています。「萩往還これでいいのか!」と思いながらも、来年もチャレンジしたいと思っています。