今はなき伝説のウルトラマラソン!萩往還マラニック250km。体調不良で臨んだ3度目のチャレンジのときの完踏記です。
萩往還マラニック250km完踏記
2011年5月2~4日 山口県・瑠璃光寺スタートゴール
スタートまで
昨年ゴールをしたときに「もう2度とやるものか!」と思っていたのですが、今年も懲りずに250kmにチャレンジしてきた。3度目のチャレンジなので戦略はできているが、今年は10日ほど前から不覚にも風邪をひき、体調が悪い状態で臨まなければならなくなった。体調が万全でも完踏が難しい250kmに、このような状態で臨むことが無茶なことは十分に分かっていたし、スタートをしないという選択もあったが、いろいろ考えた上で、すべてを覚悟してスタートをすることに決めた。スタートは夕方6時なので、当日の午前中に家を出発して、飛行機で山口に入り、受付をして、準備をして、スタート地点の瑠璃光寺に向かった。過去に共に走った同志たちと1年ぶりに再会し、今年もお互いの完踏を約束した。そして18:00「エイエイオー!」の掛け声で今年の萩往還マラニックが始まった。私は最終ウエイブで18:15にスタートし、長く、楽しく、過酷な250kmの旅が今年も始まった。
1 瑠璃光寺 0・0km(スタート) 0:00・00 (2日18:00)
のんびりとしたスタートだが、ペースは1km6分位のペースである。スタート直後なので、周りにランナーがたくさんいる。間もなく日が暮れて暗くなってきたので、ライトを点けた。
2 上郷駅前エイド 13・2km 1:37・03(2日19:37)
今年から給水はマイコップなので、各自でコップ持って走る。そのコップを出して水を注いでもらう。まだ前半でエイドが混んでいるので、とっとと給水をして出発した。二本松峠を越して、山口市から美祢市に入った。
3 湯の口エイド 21・8km 2:36・08(2日20:36)
まだお腹は空いていないがオニギリがあったので食べた。出発してしばらく県道の明るい道を進み、左折して真っ暗な秋吉自転車専用道路に入る。今年は蛙の大合唱があまり聞こえない。しばらく田舎の真っ暗な道を走る。風邪の影響か、早くも脚の筋肉が痛くなり始めた。
4 下郷駐輪場エイド 27・7km 3:17・50(2日21:17)
先ほどのエイドからさほど距離が無かったので給水だけして出発した。再び自転車道路を進み、すぐに美祢高校前エイドに到着した。
5 美祢高校前エイド 32・0km 3:49・03(2日21:49)
ここまではエイド間が短いが、この先はエイドが少なくなるので、しっかりと給水をして出発した。一般道を走るが田舎なのでこの時間でも車はほとんど通っていない。途中の間違えやすい交差点では私設エイドをしながら案内をしてくれている人がいた。感謝です!体調が悪化しているようで、早くもかなりきつい。「こんなんで大丈夫なのだろうか」と早くも不安である。
6 西寺エイド 44・0km 5:25・21(2日23:25)
コンビニもあり一息つけるエイドであるが、寒くなってきたので手袋をして、すぐに出発した。この先の道はかなり暗い。起伏があるので上りは歩く。50km過ぎに美祢市から下関市に入った。豊田湖畔を走り、キャンプ場の入り口を入り、500mほどで第1チェックポイントの豊田湖半公園に到着した。
7 豊田湖畔公園エイド 58・7km(第1CP) 7:30・15(3日1:30)
最初のチェックポイント(CP)。まずチェックカードにチェックをする。マラニックなので、途中にある10ヶ所のCPでチェックをしながら進み、ゴールでチェックの確認をして、初めて完踏となる。このチェックが1ヶ所でも漏れると完踏は認められないので、とても重要な作業である。チェックの後、ウドンとオニギリを食べるが、オニギリがノドを通らず、ウドンの汁にぶち込んで口の中へ流し込んだ。そして食後の風邪薬を服用して、寒くなってきたので上着を着て出発した。豊田湖畔の道路を走り、途中で下関市から長門市に入った。間もなく温泉街に入り俵山温泉エイドに到着した。
8 俵山温泉エイド 67・1km 8:50・44(3日2:50)
温泉饅頭を食べてエネルギー補給。この先、前半の難所の砂利ヶ峠を越す。山の中の真っ暗な道をライトだけを頼りに進む。幸いペースが合うランナーといっしょになり、共に進むこととなる。細い峠道を最高点まで歩いて上り、そこからは約9kmを一気に下り、新大坊エイドに到着した。
9 新大坊エイド 80・1km 10:31・06(3日4:31)
下りでペースアップをしたので、昨年と同じペースまで戻った。トイレに寄って、トン汁をいただいて出発した。しばらく走ると空が白々と明るくなってきて、気分的にも楽になった。薬が効いているのか、風邪の症状は治まっている。しばらく走ると海湧食堂エイドに到着した。
10 海湧食堂エイド 87・2km 11:29・35(3日5:29)
ここのエイドは食事と預けた荷物の受け取りができる。荷物を降ろして朝御飯(中華丼)を食べた。食べ終えて200m先の油谷中学校に預けた荷物を受け取りに行き、いらない荷物を預けて出発した。お天気はいいが気温は低めである。走るにはいい気候だ。農協三叉路を左折して油谷島に入っていく。島を1周して、途中のCPでチェックをして戻ってくるのだが、島の中は上り下りが多く、脚へジワジワとダメージを与えてくれる。景色が開け、海の向こうに俵島が見えてくると第2CPに到着した。
11 俵島CP 98・5km(第2CP) 13:25・46(3日7:25)
毎年、軽トラックで私設エイドをやってくれているおばちゃんがいて、お水をいただく。感謝です!油谷島を1周して、来た道を戻って行く。俵島に向かうランナーとすれ違うが、まだみんな元気である。農協三叉路まで戻ってきて、次のエイドを目指して進んだ。
12 川尻岬エイド 107・8km(第3CP) 14:54・15(3日8:54)
岬の食堂で食事ができる。食券を出してカレーを食べた。内臓はまだまだ大丈夫である。食後の風邪薬を服用して出発した。途中、日本百景にも選ばれた棚田の風景を見ながら下っていく。この辺は迷いやすい道で、途中、数人の初心者ランナーに道を教えながら進む。山を下り、海沿いの道をしばらく走ると、次のCPに到着した。
13 立石観音CP 117・7km(第4CP) 16:32・08(3日10:32)
海から突き出た岩が観音様に見えるということだが、私は何度見ても観音様には見えない。チャックをして、港の小さなお店でアイスを買って食べながら進んだ。次のCPの千畳敷まではひたすら上る。今まで色々なコースを走ってきたが、ここの上りは、本当に「バカじゃないか!」と思うくらいの上りである。下を向きながら、ただひたすら、もくもくと歩いて、やっと千畳敷の頂上に到着した。
14 千畳敷CP 125・4km(第5CP) 17:55・46(3日11:55)
ここで250kmの中間点。名物のソフトクリームを買って食べた。黄砂で眺めはいまいちだが、先ほどの立石観音もはるか遠くに見えた。一休みして出発し、今度はひたすら下り。下りは脚にきついので、走らず歩きながら下る。途中、背負っているリックの留め金が壊れたので、応急処置をして進んだ。下りきってしばらく走ると、前方から中学生の大声援が聞こえてきて、エイドに迎えてくれた。
15 黄波戸口エイド 131・1km 19:05・37(3日13:05)
地元の中学生がスタッフをやってくれているエイドで元気に迎えてくれる。カップ麺が食べられるので「チキンラーメン」をいただいた。リックの修理のためヒモをもらいしっかりと直した。この先は長門の市街地を走るので、車、人、信号が多くなり走りづらくなる。また、体調が悪くなってきて、筋肉や関節が痛くなってきた。お腹の調子も悪くなってきた。内臓がやられたのか、吐き気もするようになってきた。状態としては、かなりマズイ状態だが、なんとか次のエイドに到着した。
16 仙崎公園エイド 143・3km 21:24・11(3日15:24)
ここからは青海島の鯨墓CPまで行って、同じ道を戻ってくる片道約10kmのコースである。戻ってくる頃には日が暮れてしまうペースであったので先を急いだ。しかし、体調はさらに悪化し、筋肉の痛み、頭痛、腹痛、下痢、吐き気など風邪の症状がすべて出ている。体は完全にギブアップ状態であるようだが、精神的にはまだまだ止める気はなく進むしかないと思っていた。しかし、状況を冷静に考え、例年、帰路に寄るキャンプ場エイドに往路で寄ることにした。
17 キャンプ場エイド 149・4km 22:33・35(3日16:33)
まず、トイレに駆け込んだ。(きたない話だが)15分ほどトイレにこもり、上から下から出すものを全部出した。出すものを出して少しすっきりしたので、エイドでカレーをいただき、薬を服用して出発した。心身ともにかなりつらい状況だが、折り返してくるランナーとエールを交わしながら進んだ。途中、トイレがなく民家のトイレを借りることとなった。感謝です!遠くに鯨のモニュメントが見えて、やっと鯨墓CPに到着した。
18 鯨墓CP 153・8km(第6CP) 23:33・06(3日17:33)
ここまで来て、残り100kmを切った。暗くなる前になるべく進みたいので、チェックをして先を急いだ。下痢のときは力が入らず(というか、入れられず)ペースを上げる事ができない。体も限界に近い状態のようで「もう走るのを止めてくれ」という叫びが体の中から聞こえてくる。体力的には、これ以上の無理はできない状態だが、今は、とりあえず進むしかない。しかし、このままの状態が続くようではゴールまで辿り着けるとは思えない。なんとか175kmの大エイド「宗頭エイド」まで行き、そこで休養して体調の回復をするしかないと考え、希望を捨てずに進んだ。だんだんと日が沈み、暗くなった頃に先ほどの仙崎公園まで戻ってきた。
19 仙崎公園エイド 163・9km 25:36・04(3日19:36)
トイレに寄って、すぐに出発。この先、とても分かりづらい道だが、3回目なので大丈夫。初心者ランナーを数人引き連れて、いっしょにゴチャゴチャした分かりづらい道を進んだ。県道に出て、この先は宗頭エイドを目指し、県道をひたすら進む。次の宗頭エイドは、荷物預け、食事、入浴、仮眠ができる大きなエイドである。「宗頭まで行けばなんとかなる」という気持ちで、きつい体を進めながら、なんとか宗頭エイドに到着した。
20 宗頭エイド 175・7km (入)28:00・10(3日22:00)
(出)29:53・41(3日23:53)
一時はどうなるかと思ったが、なんとか到着できた。体育館で預けておいた荷物を受け取り、宗頭文化センターの中に入った。先に到着したランナー、すでにリタイヤをしたランナーなどたくさんの人がいてにぎやかである。内臓を休めるため食事は取らずに味噌汁だけいただいた。お風呂に入って、すぐに仮眠をした。今までここで仮眠をしたことはない。しかし、今の体調のままでは完踏することは無理だと思い、ここで寝て体調を回復させるしか完踏の道はないと考えた。そして0時にスタートをしようと決めて寝た。1時間20分後に目覚め、気持ちも新たに再びゴールを目指し出発をした。外は寒かった。二晩目は一人で進むのは厳しいので、周りにいた数人のランナーといっしょに進んだ。話をしながらしばらく進むと、第7CPに到着した。
21 藤井商店 179・0km(第7CP) 計測忘れ(4日 )
宗頭エイドからさほど時間も経っていないので、チェックだけして先に進んだ。体調はかなり回復しているようだが、先を考えると無理はできない。再度、体調が悪化すれば、もう復活はできないだろうと思い、なんとか最後まで持ってくれと願いながら進んだ。真っ暗な細い山道だが分かりづらい所も迷わず進み、広い国道に出た。国道を進み、鎖峠を越して、長門市から萩市入り、下り切って集落が見えてきて、しばらく集落の中を進むと第8CPの三見駅に到着した。
22 三見駅 188・1km(第8CP) 32:32・30(4日02:32)
三見駅は電気がついていたが、人もおらずチェックだけしてすぐに出発した。この先は地図を見ても分らないような道だが、私は分かるのでマイペースで進んだ。途中で初心者ばかりのグループが迷っていたので引き連れて進んだ。真っ暗だし、目標物はないし、当然ながら人には会わないが、山奥にポツンと明かりが見えた。山の中の私設エイドだ。温かい飲み物などを用意して待っていてくれるオアシスのようなエイドである。感謝!山を下って海沿いの道に出て、やがて集落っぽくなってきて、しばらく歩くと玉江駅に着いた。
23 玉江駅 195・0km 34:05・14(4日04:05)
夜は寒いので温かいお茶をいただいた。睡魔に襲われ、駅舎の中で仮眠をしていくランナーやペースが合わずに着いて来られないランナーを置いて、着いて来られるランナーと出発した。この先は萩の市街地に入って行くので道路も照明があって明るい。萩市内を抜ける頃には夜が明けてきた。萩焼会館を通過して、次のエイドの虎ヶ崎までの約7kmを行って戻ってくるコースなので、他のランナーとすれ違う。例年、この辺りが睡魔に襲われ、心身ともに一番きついところなのだが、しっかりと仮眠を取ったおかげで眠くない。3年目にして仮眠の重要さを実感した。私は余裕があったが、三見駅から共に進んできた初心者ランナーMさんは、かなりきつくなってきていたので、励ましながら次のエイドを目指して進んだ。
24 虎ヶ崎エイド 206・9km(第9CP)36:40・26(4日6:40)
食事ができるエイドなのでカレーを食べた。Mさんは脚が痛いようで痛み止めを飲んでいた。昨年は、自分も足裏が痛くて痛み止めを飲んだことを思い出した。ここからゴールまでは10時間あればなんとかなるので、時間的には多少余裕はある。後は進み続けるだけである。そして2人で出発した。その後も来た道を戻って行き、次のCPの東光寺に向かった。
25 東光寺 215・2km(第10CP) 38:25・31(4日8:25)
最後(10ヶ所目)のチェックである。チェックシートを大事にしまって、あとはゴールを目指して進むだけ。この先は、前日の18:00にスタートした140kmの部のランナーや今日の朝6時にスタートした70kmの部のランナーと会うようになる。お互いに声をかけながら進む。
26 道の駅「萩往還公園」エイド 222・2km 39:47・38(4日9:47)
ここのエイドは例年、早すぎて開設していないエイドだが、今年はペースが遅いおかげで開設していた。お茶をいただき、最後の難関、萩往還道に入って行った。未舗装の山道で、当然、走ることはできず、後はひたすら歩いて進む。体調が悪く、早くから歩いていたので、脚のダメージはいつもよりも少ないような気がする。もしかしたら年末のフルマラソン16連走の成果が出たのか、なんて思いながら順調に進む。朝にスタートした70kmの部、35kmの部のランナーともすれ違うようになる。すれ違うランナーは、我々250kmの部のランナーを見て敬意を表して声をかけてくれる。250kmランナーにしか味わえない、とても気分のいい瞬間である。そんな気分に浸りながら進み、次のエイドに到着した。
27 明木エイド 225・9km 40:30・00(4日10:30)
ここでは、毎年「明木祭り」が開催されている。名物の明木饅頭と麦茶をいただいた。この辺まで来ると余裕のあるランナーは少なく、みんな満身創痍といった感じである。私は、体調も良くなり、体力的にも復活し、なぜかとても元気である。スタートの時よりも元気になっている。残りの距離と時間を考えると急ぐ必要はないので、無理せず安全走行で進む。一升谷、新ノ切峠、千持峠という上り下りが続く過酷な往還道を進んでいく。そして最後のエイドに到着した。
28 佐々並エイド 235・7km 42:35・25(4日12:35)
ここでは、名物の佐々並豆腐をいただく。いつ食べてもうまい豆腐である。笑顔で見送ってくれるおばちゃんにお礼を言って最後のエイドを出発した。ゴールまでまだまだ長い残り14kmである。なぜなら、コースの最高地点の板堂峠は、まだ先であり、容赦なく上りが続く。途中、私設エイド「草もちエイド」に寄ってお茶をいただき、やっとの思いで坂堂峠の頂上まで上り切った。あとは下るだけ。しかし、ここからの下りがきつい。転げ落ちないように慎重に下り、やっと往還道の出口、天花畑まで下ってきた。山道はここまでで、あとは舗装された道を4km弱行けばゴールである。昨年は涙を流しながらガードレールにつかまりながら歩いて進んだ道だが、今年はペースを遅いけど走れている。この道を通ってゴールに向かうのは4度目なので、周りの風景を見ながら、途中のきつかったことなどを振り返りながら進んだ。天花橋を渡れば、残り1km。沿道には声援を送ってくれる人が増えてきて、最後のカーブを右折すると、その先にゴールの瑠璃光寺が見える。応援の人や先にゴールした人の声援に迎えられながらラストラン。瑠璃光寺の門をくぐり、五重塔を右手に見て回ると、苦しさに耐えて目指してきたゴールが見えた。最後は、元気な顔で両手を挙げてゴールテープを切って長かった250kmが終わった。
29 瑠璃光寺 250・0km(ゴール) 45:22・18(4日15:22)
ゴールはしたが完踏が認められるにはチェックシートの確認がある。チェックシートを渡し、確認してもらい無事に250km完踏となった。今年から250kmの完踏者にはメダルがある。はっきり言ってたいしたメダルではないが、完踏をした者にとってはとてもうれしいものである。タイムは、昨年よりも1時間位遅かった(ネットタイムで45時間08分10秒)が、完踏できた喜びはいつもどおり最高である。
ゴール後
売店でソフトクリームを買って食べながら、次々とゴールしてくる同志たちを迎えた。その後、荷物を取りに行き、仲間とタクシーに乗って、ホテルに向った。チェックインをして、まず、お風呂に入り、汗を流した。露天風呂に入りながら、ランナー達との話しが盛り上がった。その後、一人で祝杯を挙げながらご飯を食べて、間もなく吸い込まれるように眠りに入っていった。翌日早朝、帰路についた。体のダメージは多少あるものの、脚は軽い筋肉痛程度で歩くのも大丈夫である。走り終えて風邪が治ったような気もするが、やはり鼻水とノドは痛い状態であった。本当にこのような状態でスタートして、よく完踏できたとつくづく思っている。
振り返って
3回目の250kmということで戦略的には十分な知識もあり余裕があったが、体調不良の状態でスタートをしなければならないということで、精神的には余裕は無かった。しかし、覚悟を決めてスタートをしたので途中であきらめることは考えずに進み続けることができた。①途中で自分の体が「もう走るのを止めてくれ」と言っている・・・いわゆる体が限界の声を出しているのを聞いても、さらに精神力でカバーして動き続けたこと。②完全に風邪が悪化した状態で、回復させるにも十分な休養すら取れないような状況のなか、1時間の仮眠だけで回復し、その後、さらに元気になっていくこと。以上、2つの点については人間の能力のすごさを実感した。自分の中には、まだ自分が知らない能力があり、それは追い込まれたときに始めて発揮されるのかもしらない。あと、これは毎回思うことだが、ウルトラマラソンは何があっても最後まであきらめてはいけないということだと思う。やはり、ウルトラ完走の秘訣は「ゴールへの執念」だと実感した。完走率は250kmが52%と、天候にも恵まれて走りやすいコンデションだったにもかかわらず、例年に比べると低めだった。いつものことだが、本当に萩往還250kmの完踏は価値有る勲章だと感じている。